片付ける日々

乏しい写真から。
ゴマ次郎君はますます甘え始め、鳴き通しの上に、イブーchanをまたぐだけでなく、こうして彼女の上に乗っかってしまいました。こまった男の子です。一度など、イブーchanが怒って足を噛んでいました。
片付ける日々_f0218416_00300384.jpg






ようやくほっとしたのは、土曜日になってからで、今日金曜日は、新しい病院の面談の日でした。

もう今となっては忘れかけていますが、16日だったかに、真菌ではなく帯状疱疹だと分かり、それから微熱もあったりして結構しんどい時期を過ごし、うちのご老人に病院のご老人見舞をして貰ったのですが、それが金曜日。帯状疱疹だと言うと「そりゃ、痛いでしょう,疲れたんだわ」とか話したそうです。こちらはパパの単身赴任先の荷物をまとめに行っていました。それで,翌日は他の姪が見舞ったのだそうです。

その次の週、引っ越して帰って来たら、うちのご老人が付け届けを頼まれていたのを思い出して送りまして。で、私は留守電を全然聞いていなかったんです。そうしたら、看護師から電話で「お菓子を有難う」と一緒に「土曜日から熱が出て、食べられなくなり点滴をしています」とのことでした。これを聞いたのが今日、金曜日なんです。そこで、ビックリして病院へ電話すると、段々分かったことには、(看護師は肺炎と言わなかった、これって…)左の肺が真っ白だってことで、肺炎じゃん、どうして入院中に肺炎になっちゃうの、とか思いましたが、なってしまって、食事を自分で摂る力がないそうです。今後も力は戻らないそうです。それで経管栄養になるというのでした。「次の病院決めは、今後の体調によって決めた方がよいですよ」とも言われました。

行っても無駄になるのは嫌なので、半ば行く気がなくなって、先方の病院へ電話をしたら、「来ておいた方がいいですよ」と仰るので、行ってきました。京急蒲田なのですが、これがあっという間に着いて乗り越すところでした。京急は、一度書きたかったのですが、電車の音が魅力的で、実に爽快です。乗っても爽快、通過しても爽快。こんな楽しみな電車はありません。
ま、それでさっさとっとと着いてしまって、待っていたら早めに面談が始まりました。この病院は、薬などは使わない、大変良心的な病院です。お風呂は週2回、お部屋は2人部屋から4人部屋で、2人部屋希望者のみ差額ベッド代を取るそうでした。説明も簡潔で、窓口の男性がまたよくて、何もかも気に入りました。しかも郡部や他県まで行くよりずっとよいです。
料金は3回に分けて支払い、そうすることで預けっぱなしはダメですよ、というわけですって。
療養型の病院です。あ、もちろん、年金では足りないので、数万ずつ持ち出して行きます。

だんぜんここ。

それで、あらかじめ、面会しないつもりだったのでご老人には手紙を書きまして、看護師さんへも特養の書類だのイロイロ用事があるので、ご老人の病院へ行きました。結局緩い病院なので会ったらと言って下さり、会ってしまいました。身体全体がむくんでしまって、点滴が入らないそうでした。それでも危ない数値まで行ったけれど、抗生剤で持ち直した、というのです。
大きな声でないと話せないので、書いてあった手紙を見せました。すると「眼鏡を出して下さい」ということで、眼鏡をかけて読んでいました。「病院を変わるの?」と言いましたね。今の病院が嫌みたいですが、どこの病院だって嫌だろうと思います。
携帯の写真で、ベベやねえちゃんやにいちゃんを見せました。

それで、私の方は、「婦長が会う」から「医者が会う」に変わって、随分待たされましたが、じーっと皆が見守る中で経管栄養の承諾を取られました。それは苦渋の「Yes」でしたが、意識もしっかりしていて、食べないでいるわけにもいかず、大変苦しい瞬間でした。
あちらは、肺炎を抗議されると思ったのかな?凄い顔していました。抗議する気力なんてないんだけどね,疲れちゃっていて。

特養は、経管栄養だと受け入れてくれません。
でも、私は、特養も含めて希望を持っています。大変丈夫な人ですから、せっかくここまで待った特養に入れるのだから、2ヶ月の間に持ち直して、ゆっくりできたらいいです。もし、そこまで恢復出来なかったら、蒲田の病院で丁寧に扱ってもらえばいいです。ずっといられる病院です。でもご本人は早く死んじゃえばいい、と言いました。私に激しく言うのだから相当のことです。会いに行けなかったから、という思いが襲ってきます。

蒲田と言っていますが粕谷です。獅子舞とかつぎ屋のSさんの故郷だと思います。懐かしい雰囲気の商店街、やはり関係者がいる場所は、全く知らない場所とは違って気持ちが安らぎます。






by ihibou | 2015-04-05 01:04 | | Comments(0)
<< 土曜日 一応終わりました >>