いつも最後の日は晴れる

特に感動しなかったので、パパには悪いけれど、記録を書くのも渋りがちです。ただ、今も体感的に町並みというか全体の佇まいというか、そういうものにはじわ〜っと来るものがあります。それは、京都とか金沢とか奈良とかでも同じ感じになります。

さて、今日は最後の1日でした。カーテンを開けると真っ青な空で飛行機雲がどんどん作られていました。もの凄く便数が多い飛行場です。
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恒例の喫煙の際、泊まった場所の撮影会を経て、ってこの時は間違えていて、後で見たらど真ん中には別の部屋が写っていました。ほんとは右の方だった。空が青いでしょ。
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朝ご飯は「日本食」にしました。これは大損した、というか情けなくて泣きたくなりました。こんなものが日本食だと思われたら困ります。
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解説:シャケは北海で獲れるので自信があるそうで蒸していました。その隣りは半分のレモンでわざわざガーゼに包まっています。ノリは味付け海苔で大変小さい。漬け物はキューちゃん風の京都かな?梅干し2個もどこのだかねえ。右の野菜は煮付けのつもりか、多量の椎茸風きのこ、白菜、人参なので鍋の残りみたいだった。お米は柔らかく炊いてあって、おかゆとは別物の最低品、米も日本米ではない。お茶は、やはり最初はジュースと紅茶がでてしまうところ、辛うじて紅茶は下げて日本茶が来ました。が、玄米茶なの。やめてくれ〜っ。あ、みそ汁だってだめでしたよ。何だろう、ともかくこんなのダメです。日本が分かっていないのに商売していて、これでは日本は伝わらないです。

観覧車のチケットを先に取ると言うことで、パパは何か交渉していますから、玄関を入ったところのロビーの調度品を見ました。瀬戸物風のものは裏返すとインド製でした。
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こういうのは何なんだろう。昨夜は、舞踏会でもあったのか、ドレスのご婦人とすれ違ったっけ。猫に使ったら全部救えそうだわ。何も嬉しくない。むしろ不快だ。
ようやく外へ出ました。今日はすぐ川沿いの道へ渡って、そこを歩きましたが、つまり歩き続けるのでした。ゾロゾロ歩いています。
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街路樹が伸び放題なのがいいです。葉が大きいので枯れ葉の処理は楽かも知れません。
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これに乗るわけです。閉所は?と多少頭を過っています。
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またこの風景で、この橋はひとだらけで、その歩道上では、何か簡単な賭け事のようなものがされていました。すぐ止まって見るのはなぜだろう。しかし、考えてみたら昼間見るのは今日が始めてで、向かいのビルはなかなかのものでした。
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だいたい上が欠けます。
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あ〜、やだねえ、これに乗るって。
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橋を渡って階段を下りて川沿いの道に出ると、ここから地下の秘密基地へ行けるというドアを写真撮影したり、パパは頑張っていました。ここから、ゆっくりしか進まない人並みを追い越しながら近寄ると「一等」の乗り場に長蛇の列。並んで係員のところへ到達したら「これでは乗れない、引換券なんだ」ということで、オフィスへ。ここもまたダラダラしていて、なんなのこの国は、という感じ。また並んでいると、前の人たちも集団で「これでは乗れない」とやられていて、あっという間に乗れました。待ち時間は10分以内だったのだけど、ストレスは積もっていました。
乗った。
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降りてから、来た時と反対側に歩き出したので、何か分かっているのだろうと思ったら、無謀にも歩いてあの有名な橋まで行くつもりだったと後で分かりました。そんなところまで行くには、遠いのではなく、寒い。寒くて肩首周辺が固まってしまい不快感があります。ようやくごねて橋を渡り、引き返しました。帰国してからも「タクシーに乗ってでも行くべきだった」なんて「美の巨人」を見ながらうめいています。全然どうでもよかったんです、寒いのが最悪でしたし、見るほどのものがなくて。もちろん、色んな施設とかが並んではいるんですが。
引き返す川沿いは、使われなくなった大金持ちの建物が並んでいました。これは貸し会議場になったものでした。
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建物の方はこうです。
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その隣りは、また大きなお城のようなものと、付属の建物が広い敷地内にポツリポツリと建っていました。
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道路に建っている街路灯などが何百年も使えるようなもので、日本の安物とは違ってよかったです。
凍えて帰りましたが、これからがまた馬鹿馬鹿しいことが続きます。アフタヌーン・ティ〜でした。猫に使ったら一杯救える。スコーンだけはおいしかったですが、進んで食べるものではないです。サンドウィッチは、その辺のパン屋で購入出来る程度の普通の味でした。紅茶は、未だに飛行機での1杯目を越えられない。食べたくもないものをこんな風に鼻先に置かれて、食べなければなりませんでした。
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これだけだってさ、と思ったらケーキが出て来ました。ひとつにしておけばよかった。おいしくなくて胃に堪えます。
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最後に投げるように出て来たもの。これはティッシュに包んで持ち帰り、2回に分けて食べ切りました。こちらの方が得意分野のように思いました。おいしくないものにお金を払うのはもう生涯止めたい。
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部屋に帰ると、3回目のお出掛けです。ハロッズへ行くんだと言います。その前にMがいるオフィスを撮影するためタクシーに乗りました。そして建物をぐるっと回ってからハロッズへ行きました。まあ、こういうお金の使い方の方が許せます。
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ハロッズでは閉所になるかと思いました。嫌な雰囲気のところでした。天井が低い?ここにはアラブ系の人が集まっており、置いてあるものもそういう好みだったと思います。バーゲンとなっていますが、つまらないものも1万円以上していて、全く購買意欲は起こりませんでした。また、商品自体つまらないものが多かったです。これは日本でもあちらへのお土産を探しましたが、すでに気の利いた手作り品は作れなくなっているんだなぁ、と取り戻せないものへの焦りと言うか、とんでもない大きな退化の動きへの恐れすら感じました。

そうこうするうち、「Ladies and Gentlemen, ぺらぺら」と簡単なアナウンスがありましたが、私たちは何か喋っていました。でもだんだんお客がいなくなって、職員は一定の方向に走って行ってしまいます。それで、出口をようやく見つけて出ましたら、お外はお客で埋まっていて、何だか分からないけれど地下鉄も封鎖されていました。テロかよ、と思いますよね。まあ、寒くてしかたがないので、帰る方向へ歩き始めました。でバッキンガムに出てってもう暗いのですが、ライトアップされているので観光です。
皇室には関心がないので、あの昔の事件の頃ニュースで出て来たところ、というイメージでした。観光の人は適度な少なさで結構歩いていました。寒いのにね。
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その辺でパパ独特の迷子を今日もやって=ほぼ恒例化していてとても嫌だったです=、ようやくトラファルガーへ出て、PUBに入って、ホテルへ帰りました。結局何も買いたいものがなかったので、ベルギーのスーパーで買ったものだけがおみやげでした。酷いねこれって、とは思いましたが、本当になかったんですね。密輸入のチーズとサラミは自分たちで食べていますが。

それから、荷造りでした。片方を重量オーバーにして作りました。アフタヌーン・ティの話は出国直前に知らされ、正装だというので一式持って行きましたが、とても着替える気にならず普通のセーターで行きましたから、この一式がスーツケースの片隅に1/20くらい容積を占めています、腹立つ。

翌朝は7時からの朝食ということで、中華にしました。正しい美味しさでした。変な焼きそばではありましたが。
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終始好感を持てたタクシーに乗って飛行場へ。ホッとした気持ちでした。何か悪いことをしているみたいに思っていましたから。飛行機は帰りの方が混んでいて、すでによい席は取られていましたので、一番奥の真ん中の通路側両方を取りました。きっと真ん中は空いていますよ、と言われていましたが、残念1時間前に2ヶ所しか空いいないと言われた日本人の大学生さんが坐りました。

私は閉所の心配があったので、ともかく黙って、またよく眠るわけで眠ったりして音楽を聴く暇もなかったくらい眠りました。降りる前に「もう大丈夫」と思ったのでお隣に話しかけたら、たくさん話せました。彼女は大学最後の武者修行中で4ヶ月ぶりの帰国に沸いていました。そして、彼女とは同じ日に同じところに(ベルギーでまで !!)いたことが分かり、ハロッズの事件は、電気の故障だったこと、地下鉄が数日止まってしまい今も大変なんだということも分かりました。

何日も止まるなんてこと日本ではあり得ないっ、などとパパ。
羽田に着くと、寿司を食べたいとパパが言い出し、また馬鹿みたいに案内も見ないで歩き回ります。結局ちっとも美味しそうでない店しかないことが分かり、帰ってからいしはらでいしはらを飲み、天ぷらを食べ過ぎて気持ち悪くなったようです。

パパは、もっと違うキャラの人と結婚すれば、この旅ももっと楽しめただろうとつくづく思いました。おわり。











by ihibou | 2014-12-28 09:56 | 趣味 | Comments(0)
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